2014-01-01から1年間の記事一覧
週末のリゾート地でのスローライフ。天気が良いので久しぶりに長めのジョギング。 今日は、LSD(ロングスローディスタンス)と言って、ゆっくりとより長い時間走る練習。 筋力強化というよりは、体内の毛細血管を増やし活発化させることで、より多くの酸素を体…
木津川の河原のサイクリングコースをひたすら歩きらくがき寺へ向かう。 ようやく到着。 別名「らくがき寺」として知られるユニークな寺。 山門を入った正面に大黒堂という御堂があり、この御堂の白い内壁に訪れた人々が大願成就を願い筆を入れる。 境内 正門…
金福寺から国道沿いの道をひたすら1時間ぐらい歩く。 国道1号 国道22号 こんな道は嫌だ。 流れ橋とは 古き時代の趣きがあることから、テレビや映画の撮影によく使われている。 全長356.5mあり、日本最長の木造橋といわれている。 水かさが増すと橋を渡る板…
天明年間(1781~88) 白隠四天王のひとり斯経禅師により開創された臨済宗妙心寺末の修業道場。 山門座禅堂などを備えた伽藍は江戸時代末頃より整備され、現在も多くの雲水が修業し専門道場としての規模を誇る。 当寺の達磨大師坐像は、鎌倉時代の木像で大和…
今では、弁当の代名詞といえるほど知られている「松花堂弁当」。 その名前の由来は、石清水八幡宮にあった瀧本坊の住職を務めた昭乗が好んだ四つ切り箱が器の基になっている。 昭乗が、農家の種入れとして使われていた、箱の内側を十字に仕切った器をヒント…
奈良唐招提寺末で律宗に属す。 鎌倉時代正嘉年中(1257~59)石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。 室町時代には、善法寺通清の娘紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから将軍家との関係は深い。 良子…
飛行機の神饒速日命と航空事故の犠牲者などを祀る。 ギリシャ風の拝殿を持っている。 日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建。 二宮忠八は1891年(明治24年)に日本で初めて動力つき模型飛行実験に成功したものの、人を乗せることができる飛行機をラ…
石清水八幡宮の門前菓子といえば走井餅。 一の鳥居の目の前に店を構える老舗。 目の前は 店内 走井餅は江戸時代中期の明和元年(1764年)に大津で創業、湧水「走井」を用いて、初代井口市郎右衛門正勝が餡餅を作ったことに始まる。 走井は、成務天皇の産湯に…
京都市郊外の有名寺院の中で比較的アクセスがいい石清水八幡宮と八幡市の名所を歩いて巡る。 京阪電車(おけいはん) 祇園四条駅から特急と各駅停車で約20分ほどの八幡市駅に到着。 駅前 ロータリー 駅前が男山 標高124mの石清水八幡宮まで男山ケーブルが高低…
天王山ハイキングコース最後は小倉神社を目指す。 山頂を後にして山道を進む。 歩くこと1時間弱、ようやく到着。 平安時代に編纂された延喜式神明帳に載っており、乙訓地方で最も古い神社のひとつ。 天正10年(1582)6月に起こった山崎合戦に際し、羽柴秀吉…
宝積寺の境内裏に山道がありまずは酒解神社へ向けて山登り出発。 酒解神社の鳥居が見える。 鳥居付近にある旗立松展望台から大山崎の町を見下ろす。 境内 延喜式内社で山崎地方で最も古い神社。 神社の場所は天王山山頂より約百メートルほど下に位置し、本殿…
724年、聖武天皇の勅命を受け行基が建てたと伝えられる真言宗の寺院で、行基が山崎橋という対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した「山崎院」の後身と考えられている。 聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」を祀ること…
浄土宗の寺院。山号は見仏山。 大山崎山荘美術館の下、宝積寺のすぐ下にある。 天王山ハイキングコースへの急な坂道を登ると、さらに急な勾配の石の階段を登る。 創建は、室町時代後期の弘治元年(1555年)、井尻但馬守長助による開基、開山は知恩院から招い…
JR山崎駅側の踏切を渡ると正面は宝積寺に向かう坂道。天王山山頂への登山口がある。 そこを横切り線路沿いを歩くと左側に山崎聖天入口が見えてくる。 手前にはお稲荷さん。 ここから急な115段の階段を上る。 登り切って振り返る。 目の前は境内 観音寺は通称…
妙喜庵は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院で、山号は豊興山。 「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説がある。 この庵は、国宝の茶室「待庵」がある。 待庵は、日本最古の茶室建造物であ…
今日は天下分け目の天王山制覇。 阪急電車で、河原町駅から特急と各駅を乗り継ぎ15分ほど大山崎駅で降りました。 後ろに見えるのが標高270mの天王山。 大山崎駅前 今日の行程は、離宮八幡宮、待庵の写しが展示されている大山崎町歴史資料館、山崎聖天、大念…
昔の京都のお土産と言えば、みすや針。 いまだにむかしながらの屋号のもとに裁縫具や京土産をならべており、こんにち「みすや」は針の代名詞にさえなっている。 祇園の花街、宮川町の春のおどり、「京おどり」の最後に演じられる総おどり宮川音頭の5番の歌詞…
宝幢寺は、山号を霊芝山という、永観堂を本山とする浄土宗西山禅林寺派に属する寺院。 江戸時代の寛永年間(1624~44 寛永十一年(1634)とも)、旭移(きょくい)上人が創建したと伝えられている。 本尊の阿弥陀如来像は、信濃の善光寺の本尊を模…
奈良後期、光仁天皇の皇子早良親王を祭る。 早良親王は反桓武帝の中心勢力で、のち捕われ自殺。 当時都に悪疫が流行したのは親王の祟りとされ、その霊をなぐさめるため崇道天皇の追号を贈り、同地に祭られたのが始まりという。 最初の鳥居をくぐり5分ほど歩…
江戸初期の寛文年間(1661-73)加賀藩の家老今枝近義が洛中から移し再興。 本堂前に六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があり、茶人の間で有名。 鐘楼には黄檗2世木庵禅師銘のある銅鐘がかかっている。 庭園は池泉廻遊式で石川丈山作とも伝える。 高野…
推古朝の遣隨使小野妹子が宇佐八幡を現在地に勧請したのが始まり。 応神天皇を祭る。 社殿は応仁の乱(1467-77)で焼失したが明治期に本殿、拝殿、社務所を造営。 子供の守り神。例祭9月15日。 別名「虫八幡」と呼ばれていて、子供の疳の虫除け、さまざまな…
山住神社のある岩倉は=磐座。 桓武天皇が平安遷都のときに京都の東西南北の霊地の磐座に悪霊除けの経文を埋めたといわれている。 山住神社は「北岩倉」で、平安京を守る結界のひとつとされている。 目の前には岩倉川が流れている。 正面には比叡山。
実相院の脇に建つ大雲寺は、江戸時代に発刊された「都名所圖會」に掲載されていた大寺院で、昭和に入ってもその姿を保っていたが、現在では、当時の伽藍はほとんど残っていない。 大雲寺は、天禄2年(971年)に円融天皇の勅願寺として創建されたのが始まり。…
石座神社は、当初は西河原町の山住神社の事をさしていた。 しかし天禄2年(971)、円融上皇の廟として大雲寺が、やや北の地に創建された際に、石座明神の鎮守社を移すように勧請されることになった。 石座神社では、毎年10月23日に近い土曜日の未明、 石…
もと天台宗寺門派の門跡寺院。 寛喜元年(1229)、静基(じょうき)僧正の開基。 寛永年間、足利義昭の孫に当たる義尊が入寺。 その後、後西天皇の皇子義延親王が入寺。以来、宮門跡が続いた。 客殿・御車寄など、東山天皇の后、承秋門院の薨去に際し、…
顕本法華宗の総本山。 康応元年(1389)日什上人により、六条坊門室町(現在の、烏丸五条あたり)に創建。 度々の兵火にあい市内各地を移転。 昭和43年に寺町二条から岩倉の地に移転。 境内には仏舎利を納めたインドブッダガヤ大塔を模した仏舎利塔がそびえ…
円通寺に向かう途中にある深泥池(みどろがいけ)。 深泥池(みぞろがいけ)は,京都盆地の北にある周囲1.5km,面積9haの小さな池。 この池には,西日本の平坦地では珍しい浮島があり,氷河期以来の動植物が今も生き続けるとともに多くの水生植物,昆虫,魚類…
湧泉寺から西へ500mほどの場所にある。すぐ目の前は、宝ヶ池公園スポーツ広場のこども体育館。 社殿はなく、巨大な一個の自然石を神石として、背後の林山を神南備山(かむなびやま)と崇める磐座(いわくら)信仰の地。
日蓮宗の寺院。 大正7年(1918)本涌寺と妙泉寺で合併して涌泉寺と改名した。 妙泉寺は、はじめ天台宗に属して歓喜寺といったが、永仁年間(1295頃)日像上人が関西に日蓮宗を広めた際、往持実眼をはじめ村民がすべて熱心に信仰するようになり、村…
美しく整備された北山通の北側には五山の送り火の「妙」「法」が見える。 「妙」 「法」 毎年1月に宮古市七福神参りで訪れる寺。 大黒様 「妙法」の送り火で知られる松ヶ崎東山「法」の下にある。 1616年(元和2)日英上人が創建の際、法華経の守護神として…