善法律寺 (2014/10/12)
奈良唐招提寺末で律宗に属す。
鎌倉時代正嘉年中(1257~59)石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。
室町時代には、善法寺通清の娘紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから将軍家との関係は深い。
良子が紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから紅葉寺とも称される。
本堂は、内陣を高御倉と呼び神仏混淆の五間四方の堂で八幡宮の旧社殿を移築したと伝えられる。
本堂本尊は、もと石清水八幡宮にまつられていた僧形八幡坐像で、明治の神仏分離の際に当寺に移され、平安時代末頃の作といわれている。
その両脇には愛染明王・不動明王があり等身大の玉眼彩色の鎌倉時代の像である。
奥殿には石清水八幡宮の宿院頓宮にあったという宝冠阿弥陀(南北朝時代)や千手観音菩薩立像(鎌倉時代)等寺宝は多い。境内の放生池畔には鎌倉時代の五輪塔もある。
もみじ寺といわれるだけあってかえでの葉が沢山生い茂る境内