2013-01-01から1年間の記事一覧
金閣寺(鹿苑寺) 南禅寺 天寿庵 嵐山 渡月橋 大覚寺 曹源池と池泉回遊式庭園は夢窓疎石の最高傑作のひとつ。 二尊院 紅葉の馬場 永観堂 大徳寺 黄梅院 源光庵 光悦寺
市内から大原行きのバスで30分強八瀬駅を過ぎ大原よりのバス停ふるさと前で下車。 バス停降りてすぐ脇の道を入り10mほど行くと左側に朱塗りの鳥居がある。 農道の先の森が繁っている中に本殿がある。 右側に 左側には 本殿 本殿のすぐ右隣りに境内摂社の秋元…
大原のバスターミナルから徒歩で40分ほど山里を歩く。 ようやく鳥居が 鳥居が見えてからが遠い またもや森の奥へ 9月に京都嵐山を襲った台風18号の爪痕か? 本殿は無事のようだ
1609年(慶長14)木喰上人弾誓が開創した如法念仏道場。 浄土宗。 本堂(開山堂)に安置する本尊弾誓上人像は、上人が自ら刻んだといい、自分の髪を植えたので「植髪の像」と呼ばれ、安産守護の信仰を集める。 阿弥陀如来坐像は重文。 宝物殿に上人の遺品、…
594年(推古2)聖徳太子の創建と伝える。 平家滅亡後の1185年(文治1)平清盛の娘 建礼門院が入寺、仏門の生涯を送った。 旧本堂は桃山時代の様式からなり、内陣に飛鳥、藤原様式を残していた。 境内は、『平家物語』の「潅頂の巻」、「大原御幸」に描写され…
勝林院塔頭。 勝林院は声明の専門道場として創建された。 宝泉院の書院は江戸中期頃の再建で、廊下の天井は、伏見城の遺構で、‘血天井’と呼ばれる。 庭内の五葉の松は、樹齢700年を超え、近江富士を型どったという。 勝林院を正面に見ながら左側に進むとすぐ…
魚山(ぎょさん)・大原寺(たいげんじ)と号する天台宗の寺院で、天台声明(しょうみょう)の根本道場。 円仁(えんにん)(慈覚(じかく)大師)が847年に唐(中国)から持ち帰り、比叡山に伝承されていた声明梵唄(しょうみょうぼんばい)・常行三昧(…
天台宗に属し、延暦寺の別院。 仁寿年間(851~854)慈覚大師円仁(えんにん)が、入唐して学んだ梵唄(ぼんばい)(梵語の仏教歌謡)などの声明(しょうみょう)の道場として創建したもの。 声明とは、インドで始まった学問の一つで、日本では仏をた…
天台宗の門跡寺院で、伝教(でんきょう)大師が比叡山に一宇を建てたのに始まり、その後、近江東坂本・その他に移り、天正年間(1573~1592)この地に移った。 本堂往生極楽院(重要文化財)は、寛和元年(985)の建造と伝え、舟底の天井で名高く…
大徳寺の南門から入ってすぐ西に建つ塔頭。千利休の師匠、武野紹鴎好みの茶室、昨夢軒があることなどで有名。毛利家の菩提寺でもある。 表門をくぐり本堂までのアプローチが素晴らしい。 本堂の渡り廊下の脇に広がる庭園も見事。一部は千利休の作庭。
本堂
織田信長の正式な墓所である総見院。(信長の墓所は他にも20カ所以上あるとされている) 大徳寺が強大な寺勢を誇ったきっかけとなる総見院。 信長が本能寺の変で亡くなると豊臣秀吉が後継者となった。そのことを世間に広く知らしめるために主催者として大徳寺…
細川家代々の菩提寺で歌舞伎の祖、出雲阿国の墓所でもある高桐院。 表門をくぐると竹林に囲まれた紅葉の林が美しい道の先に本堂が建つ。訪れた時は散り紅葉、風が吹けば流れ紅葉、下に目をやれば敷紅葉といった時期でした。紅葉も旬を過ぎ名残りの時を迎えて…
大徳寺北派の本院で山内の北域に建っている。1513年造営の入母屋造で銅板葺の本堂は禅寺の方丈建築で最古のもの。 堂々とした立派な松 この枯山水の庭で有名です。
龍源院の西に位置し、その院名は大友宗麟の法号でもある。 十字架を七個の石であらわした庭、閑眠庭は大友宗麟がキリシタン大名だったことを物語っている。 表門をくぐって本堂前。 十字架に見えるか?
北大路通に面した南門を入り、黄梅院の北側に位置し、大徳寺南派の本院。本堂と表門は創建当時のもので大徳寺内では最古の建物。 表門を入って本堂に続く道。
紫野いったいに広大な寺域を誇る大徳寺。日本最大級の禅寺の一つ。 今回は秋の特別拝観中でした。通常は4つの塔頭のみの公開です。今回は通常拝観可能な4つと3つの特別拝観中の塔頭と大徳寺の本坊である庫裏を見物しました。 大徳寺は20以上ある塔頭からなる…
大徳寺の入口のすぐ南側で北大路通から少し南に歩くと左側にある大徳寺の境外塔頭。
別名、玉の輿神社 東門前 あぶり餅の老舗 かざりや いちわ あぶり餅 東門 南側正面の楼門 境内 桂昌院(徳川家光の側室で五代将軍綱吉の母、お玉) 桂昌院は西陣の八百屋の家に生まれ、玉という名前だった。公家に出入りしていた家に養子となり、関白家に仕え…
この寺の東側は紫竹牛若町という地名が残るように、昔は源義朝の山荘があって常盤御前が牛若丸を産んだ地とされている。
北山通沿いにある寺院。
北山通と大宮通の交差点から三分程来たへ進むと左側に鳥居が見える。
本堂 悟りの窓(左)と迷いの窓 悟りの窓 禅の心と真理、大宇宙を表している。 迷いの窓 人間の生涯、四苦八苦を表している。 本堂廊下の天井は伏見城の遺構で、徳川家康の家臣で伏見城を守っていた鳥居元忠が石田三成の軍勢に敗れ、380人以上と共に自刃した血…
この先は入れませんでした。 右隣りは鷹ヶ峰小学校
光悦垣
吉野太夫が寄進した赤門 吉野太夫が愛した茶室、遺芳庵と吉野窓 外から見ると下の部分は平らになっている。仏道では丸は大宇宙を表す。月も満つればかくるがごとし。芸にたけ、絶世の美女だった吉野太夫も完璧ではないと円にしなかったという。
近くには昔ながらの銭湯がある
普賢象桜