京都が好き過ぎて困っているブログ

700ヶ所以上の神社仏閣を巡り、京都検定2級を取得した運営者がガイドブックに載っていないような意外な京都の魅力や素顔を紹介します。

三條本店 みすや針 (2014/9/14)

昔の京都のお土産と言えば、みすや針。

いまだにむかしながらの屋号のもとに裁縫具や京土産をならべており、こんにち「みすや」は針の代名詞にさえなっている。


祇園の花街、宮川町の春のおどり、「京おどり」の最後に演じられる総おどり宮川音頭の5番の歌詞。

国へみやげは都紅
納豆 八ツ橋 みすや針
すぐきしばづけ五色豆
みやげばなしは
みやげばなしは
ヨーイ ヨーイ ヨイ京おどり

宮川音頭フルバージョンの動画↓
https://youtu.be/leBRjp4mbrk

京のわらべうたにも歌われた三条のみすや針は、江戸時代には京はおろか、日本国中の針を代表するものとして知られていた。

一条の戻橋
二条の薬屋
三条のみすや針
四条の芝居
五条の弁慶
六条の本願寺
七条の米相場
八条の小便とり
九条のくわえ掘り
東寺の羅城門

江戸日本橋を出発して東海道で上京すると終点は三条大橋

当時の橋のたもと付近は今の河原町三条のあたりだったと言われている。

今の河原町三条

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前の左右に車が流れる通が河原町通で、正面にまっすぐ3分ほど歩いたところが三条大橋

振り返ると、三条商店街。 かつては日本一賑わった商店街の入口。この場所が京都の入口であり、出口だった。

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そこから5軒ほど中に入った右側に今でもひっそりと続いている、三條本店みすや針。

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翠簾屋はもと「翠簾屋御針所」といって御所の御用役を勤め御簾屋のなかで針を作っていたものだが、「伝統の秘法を守るために御簾のうちで製作されていたところからも『御簾屋』の屋号を賜った」とも言われている。

江戸時代の初期に後西天皇から初代福井勝秀が「御簾屋」の名を賜り「みすや針」と名づけたという。

その後翠簾屋は江戸時代を通じて名字帯刀が許されており、「福井藤原勝秀伊予守」を名乗っていた。


正面は明らかに違う店になっているが当時の看板は今でも健在。

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こちらも当時の看板。

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350年以上この地でうだつを支える龍。

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みすやは今でもこの奥で営業を続けている。

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ビルの谷間の壁には昔から高い評価を受けていたことの証が伝わってくる品が掛かっている。

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茶釜の置物には、美寿屋の文字

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こちら側には福井

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とても小さい店内

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かつて御所に出入りしていた証。

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往時の店の様子。

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東海道五十三次のターミナル、三条大橋にほど近い河原町三条には、旅人を相手の旅籠茶屋や土産を商う店が軒を並べていた。

その一軒に「翠簾屋」があった。

店先は畳敷きの広い間になっていて、ひとときの憩いを楽しむ旅人でいつも賑っていた。

振舞われた茶をすすりお国自慢や京の噂話に花を咲かせたあと、郷里で帰りを待っている妻には、土産としてここのみすや針を買っていった。

当時は針と糸がないと着るものが作れない時代。針はとても大切なもの。

衣食住の衣は今のように柳井さんもユニクロもなく全て家で手作り。

都の玄関口で日本全国からの人の往来が途切れることがなかった三条大橋のたもと付近にある大店はかつての勢いはなきにしろ、今なお十七代目が守り続けている。

京都の奥の深さ、街の魅力は知れば知るほど増し、随所にその楽しみを感じることが出来る。

今はユニクロで安くて品質のいい服が買えて、100均で裁縫セットも買えるとても便利な時代になったけれど、このような日本人の心を将来につないでいくようなものを扱う店は大事にしていかなければならないと思った。