2013-01-01から1年間の記事一覧
千本寺の内の交差点を東に入ってすぐ。
開基は弘法大師(空海)。 819年(弘仁10)大師は石像を彫り、人びとを苦しみから救おうと「苦抜(くぬき)地蔵」と名づけられたが、後年「釘抜(くぎぬき)地蔵」と呼ばれるようになった。 2本の八寸釘と釘抜をくくりつけた絵馬がお堂の周りにびっしり。 「…
12月8,9日に行われる大根焚きの準備完了。 阿亀(おかめ)の像 とっても感動するお話 京都市最古の木造建築。
正しくは昆陽山地蔵院といい、浄土宗の寺。 神亀3年(726)に、行基菩薩が聖武天皇の勅願によって摂津国の昆陽野池のほとりに建立した地蔵院が始まり。 その後、平安時代に衣笠山麓に移され、室町時代初期に戦災で焼失したが、足利義満が金閣寺建立の余…
桓武天皇が794年(延暦13)王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社。 社殿は昭和初年権現八棟造で造替。 方徳殿に大将軍神像80体(重文)と陰陽道安倍家の古天文暦道資料(府文)がある。 方除け厄除けの神。 神像の拝観は5月1日~5日、11月1日~…
菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。 天暦元年(947)の創建と伝え、天徳3年(959)藤原師輔(もろすけ)によって社殿が整備され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉が、付近一帯の松原で北野大…
清凉山と号し、臨済宗に属する。 寛永13年(1636)後水尾上皇が、仏頂国師(一絲文守(いっしぶんしゅ))を開山に請じ創建した寺で、当初、霊源庵と呼ばれていたが、寛文6年(1666)上皇より勅額を賜り、現在の山号、寺名に改められた。 さらに…
鎌倉時代、東巌慧安禅師が一条今出川に仏殿を構え、1282年(弘安5)今の地に移った。 本堂(重文)は承応2年(1652)に伏見城御成御殿を移建。 内部の襖絵は狩野山楽筆。 廊下に血天井がある。 小堀遠州の作と伝える庭園は、江戸初期の枯山水。 臨済宗寺院。…
来迎山(らいごうざん)と号する浄土宗の寺。 承和年間(834~848)に円仁(慈覚大師)が創建したと伝え、もとは天台宗山門派に属していたが、正和年間(1312~16)に道空(どうくう)上人(しょうにん)が中興して浄土宗に改められ、以後、六斎念仏の…
都の北西の角を守護している大将軍神社。住所は今でも角社(すみのやしろ)。 素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とし、相殿には関白藤原兼家公を祀る。 桓武天皇は、平安京造営にさいし、大内裏鎮護のため四方四隅に神を祀り、四方に和魂を祀って天王ととな…
放光山(ほうこうざん)と号する真言宗の寺。 建保五年(1217)に上賀茂神社の神主、賀茂能久(よしひさ)が、「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け、当寺を創建したと伝えられている。 寺名はこの由緒に因み、神光院と名づけられた。 以後、…
古くは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれたこともあり、上賀茂神社の攝社。 祭神には天鈿女命(あめのうずめみこと)と猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀っており、延喜式内の古社で、この付近の沼沢池を開墾して栄えた賀茂氏の崇敬をうけた神社。 右方東側の…
御祭神は賀茂別雷神で、神代の昔、本殿の北北西にある神山(こうやま)に御降臨になり、天武天皇の御代現在の地に社殿造営。 厄除、八方除、電気の守り神、必勝の神として信仰を集めている。 本殿・権殿は共に流造の典型として国宝に指定され、他の41棟は重…
比叡山の西麓にある延暦寺の塔頭。 慈覚大師円仁の遺命により888年(仁和4)天台座主安慧が創建。 本尊は陰陽道の祖・泰山府君(赤山明神)、かけ寄せの神として、また、京都の表鬼門にあり、王城鎮守、方除けの神として信仰が厚い。 拝殿屋根に瓦彫の神猿が…
修学院にある寺院。 解脱山禅華院という臨済宗大徳寺派の寺。 かつて都から比叡山延暦寺に登る主要道であった雲母坂の麓にあり、この寺ももともとは延暦寺三千坊と言われた比叡山延暦寺の僧坊の一つとして創建された天台宗の寺であったと考えられている。 江…
貞観年間(859-77)創建と伝えられ、もと修学院離宮地にあったのを元禄年間(1688-1704)に現在地に遷座。 スサノオノミコトを祀り、修学院、山端地区の産土神である。 また境内には触れると夫婦和合や良縁が授かるという「八重垣」の石がある。 5月5日の「…
天台宗の門跡寺院。五箇室門跡の一つ。 竹ノ内門跡。 最澄が比叡山に建立した一堂に始まり、1656年(明暦2)良尚法親王のとき、現在地に移る。 明治初期までは北野天満宮の管理職(別当)も兼務していた。 大書院、小書院、八窓軒茶室、庫裏は重文。 枯山水…
残念ながら、台風で土砂崩れの被害を受け復旧中。
左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院。 慶長6年(1601年)に、徳川家康は国内数学の発展を図るため、下野足利学校弟九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。 その後、圓光寺は相国寺山内に移り、更に寛文7年(1667年)…
「タヌキダニのお不動さん」の名で知られる。 宮本武蔵が心の剣をみがいたといわれる武蔵之滝があり修行場として信仰された。 交通安全・厄よけ祈願で知られる。 正月三ヶ日には初詣大護摩祈願祭、7月28日には火渡り祭が行われる。 毎月3・16・28日(午前11…
永仁二年(1294)に創建された。御祭神には一乗寺の産土神、氏神として素盞嗚命、稲田姫命、八王子命を祀っている。 禊祓い、農耕・水、森林・山、縁結び・和歌、方除・厄除、学業・教育と様々な御神徳をそなえている。 境内には慶長九年(1604)宮本武蔵が吉…
正しくは、六六山(ろくろくざん)詩仙堂丈山(じょうざん)寺と号する曹洞宗の寺院。 江戸時代の文人石川丈山が、寛永18年(1641)隠棲のため建立した山荘で、凹凸か(おうとつか)とも呼ばれている。 丈山は、三河国(愛知県)の人で、徳川家康に仕…
隣は保育園
864年(貞観6)円仁(慈覚大師)の遺志を継ぎ、安恵僧都が創建。 江戸中期に鉄舟和尚が再興し、現在は臨済宗南禅寺派。 松尾芭蕉が鉄舟と親交を深めたという芭蕉庵は荒廃したが、のち与謝蕪村が再興。 紅葉が美しい。 背後の丘に与謝蕪村ら近世の俳人の墓や…
北白川一帯は、一万年を超える縄文時代より集落が営まれていた環境エネルギーの良地である。 ここに延喜以前より天使大明神と唱え、我国病気平癒健康長寿の神少彦名命が祀られていた。 八代将軍義政公が文明年間、東山山荘造営に際し、今の千古山明神の森に…
真言宗御室派総本山。 886年(仁和2)、光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4)に完成。 年号を寺名とした。 宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所とも呼ばれた。 以後、明治維新まで代々皇子皇孫が門跡となり門跡寺院の筆頭にあっ…
獅子吼(ししく)山と号し、浄土宗地恩院派に属する。 宝暦8年(1758)、僧関通(かんつう)が北野下ノ森に創建した。 この地には、昭和4年に移転した。関通は尾張国(愛知県の生れ)江戸増上寺で祐夫について修業し、享保10年(1725)より諸国…