粟田神社 (ご利益:旅立守護・厄除)
粟田とは地名で、京の七口のひとつ、粟田口の事を指す。粟田口は東海道や、近江、大津から京都に入る入り口で、京都よりも東の国江戸などからやって来た人々は粟田口に来ると「無事に京都に着いたと安堵したとか。逆に、京都を出る人にとっても旅立ちの場所でもあった。その際に粟田神社に立ち寄り安全を祈願し参拝していたと伝えられている。
粟田神社は、大己貴命の疫病除け御神託による創建で、‘牛頭天王’を祭った粟田口の総社だった。のち天台宗青蓮院門跡の鎮守社になる。社殿は平安初期にできたが江戸中期から末期に本殿、拝殿とも再建。
スサノオノミコトを祭り、厄除け、旅立ち守護の神。
祭礼である「粟田祭」は10月体育の日前々日・前日・体育の日・15日。体育の日前日は祭の呼びもの剣鉾18基が飾りつけられ、「阿古陀鉾」「地蔵鉾」の2基が大燈呂とともに知恩院前の「瓜生石」前で「れいけん」の祭りを行った後に夜渡りする。
体育の日は神幸祭で剣鉾巡行と神輿渡御。15日は例大祭。この剣鉾は祇園祭の山鉾の原形といわれている。
近くに平安神宮の赤い大鳥居が見える。