八坂神社 (2015/1/11)
都七福神巡り、十六社朱印めぐりを終え市内中心地、祇園に戻り最後は京の都の疫病退散のために創建された八坂神社へお参り。
当社の例祭である7月に1ヶ月に渡って行われる祇園祭は、改めて生きる喜びと活力を与えてくれた。
自分にとって、特別な場所になった。
八坂神社の祭神は素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神。
明治維新まで祇園社または感神院と称した。
創祀は、社伝では656年と伝えられ、平安遷都がなされた794年以前よりこの地に祀られていたとされる。
869年の疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭の起源。
平安時代には二十二社の一に数えられ、朝廷からも厚く崇敬された。
民衆の信仰も深く京都はもとより全国に広く崇敬されるようになった。
現在この神を祀る神社は全国に三千余社に及ぶ。
正門は、南側の石塀小路へつながる道の方角を向いている。
この門を7月16日の宵山の日の深夜に長刀鉾の日和神楽がくぐるのを見るのが今から待ち遠しい。
正面は舞殿。
脇に回ると背後には本殿と拝殿が同じ一つ屋根の下に収まる珍しい神社建築、祇園造の社殿。
境内東側にある忠盛燈籠
平家物語の忠盛燈籠の話。
ある五月雨の降る夜、白河法皇が祇園女御に会うためにこの辺りを通っていると前方に鬼のようなものが見えた。
法皇はお供の平忠盛に討ち取るよう命じたが、忠盛はその正体を見定めてからとして生け捕りにしたところ、それは燈籠に燈明をあげようとした祇園の社僧だった。
社僧が身に着けていた雨具の蓑が燈明の光で銀の針のように見えたらしい。
この忠盛の思慮深い行動に人々は感嘆したという。燈籠はその時のものといわれている。
スサノオノミコトの荒魂を祀る悪王子社
美御前社
多くの女性が並んでいる。
お目当は、美容水。
日本で一番由緒ある花街が集まる特別な場所ならではの神社かも知れない。
こちらは縁結びの神を祀る神社。
八坂神社の境内には色々な子社が点在している。
お馴染み四条通が東大路通に突き当たった場所に向かって建つ西門。
成人式を迎える振り袖姿の人達も見かける。
八坂神社 西門
祇園石段下
祇園祭の神幸祭、還幸祭での神輿の差し回しが行われる場所。