京阪電鉄の墨染(すみぞめ)駅から西へゆるやかな坂を3分ほど下ると、商店がいくつかあるなかに紛れるように小さな門が見える。
墨染寺という名前は、境内の墨染桜に由来する。
藤原良房の養子で関白藤原基経の市を悼んで、平安時代の歌人、上野岑雄(かんつけのみねお)は、「深草の 野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだ。
そのためここの桜は薄墨色の花をつけるようになり、墨染の名が生まれた。
境内
境内の右側にある小さな3代目の墨染桜。