十六社朱印めぐり 豊国神社 (2015/1/11)
豊国神社(ご利益:開運招福・良縁成就)
豊臣秀吉を豊国大明神という神として祀る神社。
1598年、天下統一を果たした豊臣秀吉は伏見城においてその波乱に満ちた生涯を終え、遺骸は遺命により東山阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建された。
朝廷からは正一位の神階と「豊国大明神」の御神号を賜り、境内域30万坪を誇る壮麗かつ壮大な神社であった。
1615年、大坂夏の陣において豊臣家が滅亡すると徳川家康により廃祀されたが、明治元年、明治天皇の御沙汰により再興が決定され、明治13年には方広寺大仏殿跡地に社殿が造営され名実共に再興された。
境内には伏見城の遺構と伝えられる国宝の大唐門が、また北政所豊臣吉子方を祀る貞照神社や秀吉公の遺品などが残り、現在では出世開運の神様として全国より崇敬を集めている。
境内には、秀吉の旗印である『千成瓢箪』にちなんだひょうたん絵馬があり、朱印にもその姿を見る事が出来る。
境内
伏見城から移築された唐門
拝殿の両脇には沢山のひょうたん型の絵馬が掛かる。
豊国神社境内のすぐ隣りにある方広寺の梵鐘。
刀狩り没取した武器などで造られたとも伝わる。
美しい天井画が描かれている。
梵鐘の銘文に刻まれた「君臣豊楽 国家安康」の文字は、豊臣家が栄え、家康の文字が分断されているとのことから、これがきっかけで大阪の陣で豊臣家は徳川家康に滅ぼされた。
かつてここには奈良の東大寺の盧遮那仏を超える高さ19メートルある日本最大の大仏が建っていたが、昭和初期に火災で焼失した。
豊国神社の南隣りは昨年リニューアルが終了し、再開した京都国立博物館。
煉瓦造りの壮大な建物は、赤坂迎賓館も手がけた片山東熊の作。
当時は、官の片山東熊、民の辰野金吾と呼ばれ、日本の近代建築の発展に大きく貢献した。