かつてはお囃子を伴い、後祭の大型の曳山(ひきやま)だったが、1826(文政9)年の大雨で懸装品が損傷した事で翌年から巡行に参加できなくなり、元治の大火(1864年)で殆どのものを焼失。
宵山には3体の御神体と寄贈品の見送りが飾られるが、巡行には参加しない。
囃子方が囃子の練習などをはじめたというものの経済的な事情などにより、10年後の巡行復帰を目指すという。
由来・歴史
「鷹匠」「樽負」「犬飼」の御神体が並んで飾られる。
この「鷹匠」と「犬飼」は、源頼朝、もしくは在原行平と言われ、真ん中の「樽負」は粽を食べている という、ユニークなもの。
「太郎山」「樽負山」とも呼ばれ、樽の中の御神酒(ご神水?)には疫病退散の力が宿っているといわれる。
1986年に寄付された見送「染彩猛禽之図」は染色作家・皆川月華の作。
御朱印