二条城は1603年徳川幕府初代家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍家光が、後水尾天皇の御幸にあわせて、1626年に改修したもので、絵画、彫刻、建築に桃山から江戸への時代の移り変わりを見ることができる。
1867年15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年離宮となった。
その後明治時代には一時京都府庁として利用され、その後1939年に京都市に下賜され、1994年にユネスコの世界遺産に登録された。
大手門入り口
朝廷の御紋十二弁菊と控えめに柱の下の方に徳川家康の三葉葵が施された見事な唐門
唐門と二の丸御殿
二の丸御殿入り口
二の丸御殿は、武家風書院造の代表的な御殿建築で、遠侍(とおざむらい)、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形(がんこうがた)に並んでいる。
建物は部屋数33、畳800畳あり各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので部屋の目的に応じて描かれている。
欄間の彫刻、飾金具などの釘隠しなどは、鮮やかで豪華。
壁一面の金箔の上に描かれた障壁画と織り上げ天井の花模様は見るものを圧倒する。
二の丸庭園
池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、江戸時代初期を代表する小堀遠州の作と伝えられている。
1626年、池の南側に後水尾天皇の御幸御殿が建てられた際に改造され、主に大広間、黒書院、御幸御殿の三方向から見られるように工夫されている。
この頃まだ日本には生息していないであろう舶来品と思われる蘇鉄が植えてある。小堀遠州の斬新さが見てとれる。
二条城内部
天守閣跡に続く橋
天守閣跡
天守閣跡から本丸御殿をのぞむ。
本丸御殿
本丸は、1626年三代将軍家光の命により造営されたもの。
元は五層の天守閣が高くそびえ壮麗を誇っていたが、1750年に雷火により消失し、1788年には、天明の大火による消失で本丸内の殿舎もなくした。
現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を明治時代に移築したもの。