京都が好き過ぎて困っているブログ

700ヶ所以上の神社仏閣を巡り、京都検定2級を取得した運営者がガイドブックに載っていないような意外な京都の魅力や素顔を紹介します。

修学院離宮 (2015/7/21)


今回の京都滞在で三ヶ所目の宮内庁管轄で事前予約が必要な場所、修学院離宮を拝観。

9時拝観を予約していたので、8時過ぎには叡山電鉄出町柳駅へ。

出町柳から元田中、茶山、一乗寺、修学院と4駅、10分ほどで到着。

修学院駅

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駅からは徒歩15分ほど。

修学院離宮に到着。

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修学院離宮は、後水尾上皇(第108代天皇)の指示により、構想に15年の歳月を費やし、その後1655年から1659年にかけて江戸幕府が造営した離宮

御茶屋(しものおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、上御茶屋(かみのおちゃや)三ヶ所の庭園からなり54万平方メートルと広大な敷地を誇る。

御茶屋

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後水尾院の御座所となった寿月観。

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後水尾上皇の宸筆。

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岸駒筆の「虎渓三笑」の襖絵。

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御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。

明治天皇が田んぼのあぜ道に松林を植えさせて、馬車道と呼ばれている。

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御茶屋

後水尾上皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年造営された朱宮(あけのみや)御所が前身。

以前は、上皇の第1皇女である梅宮が出家して円照寺という尼寺を構えていた。


楽只軒は前述の朱宮御所の一部で、1668年頃の造営。

書院造の客殿は、1677年に造営された東福門院後水尾天皇女御、徳川2代将軍秀忠娘)の女院御所の奥対面所を移築したもの。

客殿一ノ間の霞棚は、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られている。

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安土桃山時代から江戸時代初期の頃の祇園祭の山と鉾が描かれた杉戸絵。

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霞棚

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杉戸に描かれた鯉の絵の作者は不明だが、網は円山応挙によって描き足された。

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御茶屋

巨大な人工池の浴龍池(よくりゅうち)と大刈込を中心とした壮大な庭園。

修学院離宮の中で一番高台に位置していて、京都タワーより少し高い。

?葺の御成門

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御幸門から石段を上った離宮内の最高所に隣雲亭が建つ。

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隣雲亭から浴龍池(龍が水浴びできるぐらい広い池)の眺め。

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見えている市街地の森の部分は下鴨神社

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土庇部分のたたきには赤と黒の小石が埋め込まれ「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれている。

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広大な池泉回遊式庭園を見て回る。

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千歳橋が中島と万松塢の間に架かる。特色ある外観をもった屋形橋で、当初から離宮にあったものではない。

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切石積みの橋台に一枚石の橋板を渡し、東には宝形造、西には寄棟造の屋根を架けたもので、宝形造屋根の頂部には金銅の鳳凰が立つ。

1824年の離宮改修時に、京都所司代の内藤信敦が橋台を寄進し、1827年水野忠邦が屋形を寄進したものと伝わる。


窮邃亭

後水尾院によって造営された上の茶屋、下の茶屋の建物のほとんどが滅失または再建されているが、この建物は唯一創建当時のものとされている。

月が良く見えるようにひさしを極端に短くして、デザインを無視して月見を楽しむことを優先して建てられた建築様式。

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屋根の上には菊の御紋。

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眺めがいい場所が御座所になっている。上座の場所ではないが月が一番良く見える場所に御座所が設けられている。

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浴竜池は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されているが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆っている。

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大刈込とは、異なる種類の樹木を混ぜ植えたものを刈込んで、全体の形を整えたもので修学院離宮の特徴を表すものの一つ。


パンフレット

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