京都が好き過ぎて困っているブログ

700ヶ所以上の神社仏閣を巡り、京都検定2級を取得した運営者がガイドブックに載っていないような意外な京都の魅力や素顔を紹介します。

葵祭 (1) (2015/5/15)


葵祭は、祇園祭時代祭と並ぶ京都三大祭の一つ。

京都御所から下鴨神社上賀茂神社へ新緑の都大路を、総勢500名を超える平安絵巻さながらの優雅な約1キロの長さの行列が8キロの距離をねり歩く。

行列が通るコース

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京都最古の祭で、行列のすべてに葵の葉が飾られてる。


葵祭の歴史

5月15日に行われる賀茂別雷神社(上賀茂神社)および賀茂御祖神社(下鴨神社)の例祭。

古くは賀茂祭といい4月の中酉日(なかとりのひ)に行われた。

祭儀に関わる人達から牛車、氏子の家の軒下に至るまで双葉葵を掛けたことから江戸時代以降葵祭と呼ばれるようになった。

岩清水祭、春日祭とともに三勅祭の一つで、岩清水祭を南祭と呼んだのに対して、北祭とも言った。古くは「みあれ」とも呼ばれていた。

古典文学の中では、源氏物語で、葵の上と六条御息所との車争いや、枕草子、今昔物語などにも祭の様子が描かれ、徒然草にも祭の面白さの例に葵祭が取り上げられている。

欽明天皇の代(6世紀 飛鳥時代)に、国内が風水害で凶作に見舞われたため、卜部伊吉若日子(うらべいきわかひこ)に占わせると賀茂神の祟りであることがわかり、四月の吉日に、葵を飾り馬に鈴を付けて走らせ、五穀豊穣を祈ったことが始まりとされている。

819年、嵯峨天皇の代には、中祀(ちゅうし)という最も重要な恒例祭祀に準ぜられるようになった。

応仁の乱まで続いたが、1502年から中絶となり、1694年に再興、明治4年に再び中絶したが、岩倉具視により明治17年に再興され、5月15日に行われるようになった。

第二次大戦中の昭和18年から27年まで、中絶や路頭の儀の中止などがあったが28年から旧儀に基づいて復興され、31年、鎌倉初期から久しく途絶えていた斎王の女人列を、斎王代という形で復活させた。

5月15日

10:00

御所内では、進発の儀が行われ、行列に参加する人馬は宜秋門から出て列を整える。

10:30

先頭が建礼門前を出発。路頭の儀が始まる。行列は勅使を中心とした本列と斎王代を中心とした女人列がある。

本列は警護の行列として騎馬の検非違使山城使とその従者たち、天皇からのお供え物の御幣櫃を運ぶ内蔵寮(くらのりょう)の役人たちの列、走馬に関わる馬寮(めりょう)の役人と奉納の馬、そして勅使と随行の陪従(べいじゅう)、舞人(まいうど)に牛車や風流傘の加わった列に分けられる。

女人列は腰輿(およよ)に乗った斎王代を中心とし、女別当、内侍、命婦(みゅうぶ)、女嬬(にょうじゅ)、騎女(むねのりおんな)、童女など女官たちの華麗な行列が続く。

総勢500名余り、約1キロの行列が建礼門前から出発し、堺町御門を出ると丸太町通を東進、河原町通を北上し、今出川通を越えて、出町橋から参道を通って下鴨神社へ入る。一の鳥居から二の鳥居へと進み、11:40頃到着する。

行列が下鴨神社に到着すると直ちに社頭の儀が執り行われる。その後、糺ノ森の馬場では、馬を疾走させる走馬の儀が行われる。

14:00

行列を整えて、上賀茂神社に向かって出発する。下鴨本通を北上し、北大路通を賀茂街道まで西進、賀茂街道を北上し御園橋を渡って上賀茂神社に向かう。

15:30

上賀茂神社に到着すると、下鴨神社同様の社頭の儀が行われ、祭は終わる。


行列の説明
https://www.kyokanko.or.jp/aoi/gyoretsu.html

上賀茂神社から下鴨神社に移動。

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神馬も走馬(そうめ)の儀に備えてスタンバイ。芸妓さん、舞妓さんにはげまされている。

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観覧席が用意されている。

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ようやく着席。これから2時間待ち。
祭りは待つのが仕事。

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ようやく行列の先頭が下鴨神社に到着。
まずは天皇の使いである勅使による行列。

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