京都が好き過ぎて困っているブログ

700ヶ所以上の神社仏閣を巡り、京都検定2級を取得した運営者がガイドブックに載っていないような意外な京都の魅力や素顔を紹介します。

正伝永源院 (2015/4/11)


建仁寺塔頭の一つで、通常拝観出来ない寺院。織田信長の弟、織田有楽斎が住んでいた場所で、墓所でもある。細川家の代々の墓もあり、細川護煕元総理作の襖絵や茶碗も寄贈されている。

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建仁寺の真北に位置する境外塔頭

元々は正伝院と永源庵という2つの塔頭だった。

正伝院は鎌倉時代の創建、開基は建仁寺第十二世義翁紹仁。応仁の乱以後荒廃するが、大坂冬の陣ののち京都に隠居した織田有楽斎が1618年に復興、本院に住して茶道を極めたと伝えられる。

永源庵は南北朝時代の創建、開基は建仁寺第三十九世無涯仁浩。細川頼有がこの無涯仁浩を師として禅に帰依したことが縁で、以後永源庵は和泉上守護家細川氏8代の菩提寺となり、さらにこの系統から出た細川幽斎・細川三斎父子を祖とする熊本藩主家細川氏菩提寺の一つともなった。

塔頭とも幕末から明治維新の混乱期に衰退し、特に永源庵は廃寺と決まってしまっが、永源庵は建仁寺の真北に位置する境外塔頭だったことが幸いして建物そのものが破壊されなかったため、廃仏毀釈を生き残った正伝院がこの永源庵の跡地に移転することになった。

その後正伝院は、細川侯爵家の菩提寺たる永源庵の名を絶やすには忍びないということで、寺名を旧両塔頭の名を合わせた正伝永源院と改め今日に至っている。

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入ってすぐに織田有楽斎の墓

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向かい側に細川家

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庭には、三名席の一つ如庵のレプリカが再建されている。

日本の国宝茶室は京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵があり、この如庵を含め三名席と呼ばれている。

現在如庵は愛知県犬山市にある有楽苑に移築されている。

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にじり口

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織田有楽斎の障壁画がかかる

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壁一面に当時の暦が書かれていて暦席とも呼ばれる。

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再び庭園

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