京阪電鉄の中書島の北口から伸びる道をまっすぐ進み、龍馬通りを行くと突き当たりにアーケードが見える。その手前の道を西に進むとすぐ右にある小さな寺院。地元の人には油掛け地蔵と親しまれている。
1590年、雲海が創建、鳥羽伏見の戦火などで衰退後は町中にうもれるような小さな寺となった。
龍馬通り
ここはもと関白藤原忠通(ただみち)が建てたと伝えられる法性寺小御堂(ほうしょうじこみどう)のあったところで、忠通の子九条兼実(かねざね)もことのほかこの地を愛したので花園御殿ともいわれていた。
後白河法皇もしばしばこの地に御幸されていて、後に法皇の御製(ぎょせい)にちなんで西岸寺と号した。
浄土真宗本願寺派。
親鸞聖人は兼実の娘、玉日姫を娶ったが、承元元年(1207)この地より越後に流された。
以来玉日姫はこの小堂を守り、ここでなくなった。
本堂には本尊阿弥陀如来像のほか、聖人の自作といわれる「親鸞草鞋懸(わらじかけ)立像」を安置しており、本堂の傍らに玉日姫の墓がある。
参道は駐車場
松尾芭蕉が1685年に当時の住持を訪れたときの句が残っていて、石碑が建っている。
「我が衣に 伏見の桃の 雫せよ」
伏見は日本一という桃の林があり、その桃からの雫が我が衣を濡らすように、住持の徳も我が身に頂きたいと、賛辞を込めたもの。
説話が地名になっている。